ひとりごと

「ふつう」は大きな勘違い

日頃から何気なく使っている言葉も、よくよく考えてみるといろいろなことに気付かされます。

私はこれまでいくつかの国を訪れ、その都度、カルチャーショックを受けてきました。たとえば、フランスのスーパーの店員はぶっきらぼうなことが多く、日本と同様の丁寧なサービスを期待することはできません。オーストラリアにホームステイをしたときには、社会全体でワークライフバランスを重要視しているのを感じ、平日にもかかわらず、家族や近所の人たちとBBQを楽しむことができる時間的・精神的な余裕をうらやましく思いました。極めつけは、東南アジアに位置するラオスです。すれ違う車にサイドミラーがなかったり、バイクを3人乗りしていたり。聞くところによれば「出っ張っているのがダサいから取った」「みんなやっていること」だそうです。かなりの衝撃を受けました(笑)

私たちにとっての当たり前が、海外では当たり前ではありません。海外のみならず、日本国内でも地域によってさまざまな文化が異なります。つまり、生活圏が変われば「ふつう」も変化するわけです。しかし、この「ふつう」という言葉そのものも、じつはとても厄介です。

静岡大学教授で植物学者の稲垣英洋さんは、著書『はずれ者が進化をつくる』で次のように語りかけています。

ふつうの顔なんてありません。ふつうの人なんてどこにもいません。ふつうでない人もどこにもいません。ふつうなんていうものは、どこを探しても本当はないのです。

 生物の世界は、「違うこと」に価値を見出し、懸命に「違い」を出そうとしているそうです。しかし、人間の脳は、複雑なことが苦手で、できるだけ物事をシンプルにして単純化することを好むと言います。その結果、多様性あるものを寄せ集め、「平均値」、すなわち「ふつう」という概念をわざわざ生み出し、「バラバラ」であることの価値を見失わせると指摘します。「ふつう」は言わば「幻想」であり、生まれてきたものすべてに、ありのままの姿にこそ価値があることを淡々と訴えかける内容に感銘を受けました。

私たちはたいてい「ふつう」であるように努めます。また、世間からも「ふつう」であることを求められます。もしかしたら「ふつう」であることを強いられる場面もあったかもしれません。しかし、世の中を変えるのは「はずれ者」だそうです。

じつはこの本、私の尊敬する方がつい先日貸してくださったものです。次にお会いできるのがいつかはわかりませんが、さらに熟読し、深みのある意見交換をさせていただければと考えています。皆さんがお勧めする本はなんですか?

※サムネイル画像は「鉄棒」ならぬ「竹棒」で遊ぶラオスの子どもたち

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