私の思い

政治は日常の延長線

 私は小学生のときから新聞を読んだり、ニュースを見たりする習慣がありました。きっかけはよく覚えていませんが、祖父母の影響だろうと思います。高校生になると、月曜9時からは定番のドラマではなく、政治番組を視聴。言葉遊びのような「くだらない国会論戦」がお気に入りでした(そして今なおくだらない国会論戦は続いている)。しかし、私にとっては近い存在である「政治」が、なぜだか多くの人たちにとっては遠い存在になっているような気がしてなりません。

 「政治は私たちの仕事じゃない」「政治は難しくてわからない」「政治は自分には関係ない」

 こんな言葉をよく耳にします。たしかに「政治」は政治家の仕事なのかもしれません。しかし、政治は広い意味で「対立や利害を調整して一定の秩序を維持する」こと。そうであるならば、家庭も、学校も、職場も、じつは政治の一部。また、消費税や公共料金などにも政治がかかわっています。つまり、政治は特別なものではなく「政治は日常の延長線上」にあります。「政治」はどうしても敬遠されてしまいがちですが、コーヒーを飲んだり、読書をしたりするような感覚で、政治をもっと近くて気兼ねのないものにすることが理想です。

富士市の未来を守りたい

 私は生まれも育ちも富士市です。県外での4年間の大学生活を除けば、もう30年近く住み続けています。その理由は非常に単純で「地元が好きだから」という一言に尽きます。市内のどこからでも富士山を眺められるだけではなく、駿河湾にも面しており、人と気候が温かでくらしやすい環境です。しかし、実際には富士市が抱えている課題は非常に多く、それらを放置してしまえば存続すら危ぶまれてしまいます。

 現在、日本は人口減少社会に突入しており、平成20年(1億2808万人)をピークに、平成23年(1億2783万人)以降は一貫して減少しています。また、高齢化率も上昇を続けており、国民の3人に1人が65歳以上という時代が差し迫っています。しかし、この人口減少は全国一律で生じているわけではなく、特定の大都市においては今後も人口増加が見込まれる一方で、大多数の地方都市では人口減少が加速していきます。残念なことに富士市は後者です。平成22年の26万1,573人をピークに人口は減少しており、現在(2023.03.01)の人口は24万8,765人、推計によるとおよそ20年後には21万人台に、さらに20年後にはなんと17万人台になると言われています。その頃には高齢化率が40%近くになると考えられます。

 「地元が消失する」というのはにわかに信じ難いですが、何も対策を講じなければ人口はどんどん流出・減少していき、経済規模の縮小によって企業の撤退や倒産が相次ぎ、行政の市民サービスが行き届かなくなるなど、都市機能を維持できなくなります。私を含め、「富士市を愛する人」は本当にたくさんいるはずです。「富士市の未来を守りたい」、その一心で創意工夫を持って行動していきます。

”若者に無関心”な政治

 「最近の若者は…」に続くのはいつも後ろ向きなセリフ。「最近の若者は礼儀知らずだ」「最近の若者は常識がない」「最近の若者は根性がない」など挙げれば切りがありません。そして、最もよく言われるのが、

 「最近の若者は『政治に無関心』だ」

という言葉です。たしかに、その言葉には一理あります。たとえば、直近の国政選挙(R4参議院議員選挙)における投票率は、10代(35.4%)、20代(33.9%)であり、最も高かった60代(65.6%)の半分近くでした。また、内閣府の調査(H30「我が国と諸外国の若者の意識に関する調査」)では、諸外国と比較して政治に対する関心度が低いことがわかっています。しかし、私は納得ができないのです。なぜなら、教員として数多くの生徒とかかわってきましたが、誰もが社会問題に対してしっかりと自分の意見を持っており、授業での討論や定期試験での自由論述問題には非常に意欲的に取り組んでいたからです。この「統計的な事実」と「私の肌感覚」の隔たりの中で生じたのが「若者の政治離れ」ではなく「政治の若者離れ」という考えです。

 現在、有権者に占める若者の割合(10~20代の合計)は約13%です。最も高いのは高齢者の割合(70代以上)で約25%、そしてこの年代は「義務」として選挙に行く意識が強いこともあり、投票率も高いです。こうなると政治家は「子育て・教育支援」「人材育成」「雇用促進」よりも「年金」「医療」「介護」などの政策、つまり「将来世代」よりも「引退世代」に重点を置くことになります。結果として政治が若者から離れていき、若者は政治に対して無力感や虚無感を抱くことになるわけです。この状況は今に始まったことではありませんが、少子高齢化の影響を受けてますます顕著になっていくことが考えられます。

 政治は「誰か」のものではなく「誰にでも」ひらかれたものでなければいけません。年齢、性別、職業等にとらわれず、多様な人たちが社会に参画することにこそ大きな意味があります。とかく若者はいつの時代も政治の外に追いやられていますが、だからと言って一歩引いてしまうのではなく、一歩前へと突き進む行動が必要です。たった小さな一歩でも、それがいつしか実を結び、社会に活力を与えられると信じています。

 

 

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