福永むねと?

「ワンワン」と名付けられた子

 1990年1月28日、厳しくもあたたかく、ピアノのやさしい音色に包まれた家庭に生まれました。家族は非常に喜んだそうですが、一つ違いの兄だけは、とても小さく、折れそうなほどに細い姿で産声をあげた私を見るなり、私を指差して「ワンワン」と言ったそうです(笑)。

 4歳からピアノを始め、小学校に入学後はサッカー、水泳、書道など、さまざまなことに励み、目標に向かって努力すること、失敗してもあきらめずに挑戦し続けること、仲間とともに切磋琢磨しながら高みを目指すことの大切さを学びました。相変わらず小さく、背の順ではいつも決まって最前列。整列の度に手を腰に付け、先生の号令「“前へ”ならえ!」を実行したくとも叶わない日々が中学1年生まで続きました。

 何かあるたびに「チビ」と言われて嫌な思いをしたものの、口が達者で物怖じせず、負けず嫌いな性格だったこともあり、萎縮することなく伸び伸びと育ちました。また、人を笑わせることが大好きで、お笑い係をつくったり、全校生徒の前でコントを披露したりすることもありました。

3つの出来事、人生の選択

 中学校に入学後はソフトテニス部に所属して汗を流し、体育祭では応援団副団長、合唱コンクールでは伴奏者、学校生活では生徒会副会長など、何事にも熱心に取り組みました。高校は県下でも有数の大規模校に進学。人数の多さに圧倒されましたが、おかげで個性豊かな面白いメンバーと出会うことができ、本当に笑いが絶えない日々でした。

 大学時代は、人生を変える3つの大きな出来事がありました。

国際ボランティアツアー

 一つ目は、大学3年次に参加したラオスでの国際ボランティアツアー。多くの日本人にとって知られていないラオスは、東南アジアに位置する途上国です。「途上国」と聞くと、誰もが「貧しい」「危ない」「かわいそう」などのネガティブな言葉を口にします。私自身も少なからずそう思っていました。たしかに、戦争の爪痕や民族問題等の苦境に直面してはいましたが、その中にあっても笑顔を絶やさず、やさしくたくましいラオスの人たちに心を奪われ、ゆっくりとした時間の流れに安らぎすら感じたのです。机上の学問だけでは見えなかった世界がそこにあり、まさに「百聞は一見に如かず」を体感したのでした。

東日本大震災

 二つ目は、東日本大震災。私はあの日、大学のパソコン室にいました。最初は驚かなかったものの、揺れは徐々に激しくなり、身の危険を感じて机の下に。そこからの時間はあまりにも長く感じられました。震度6弱。さっきまで整然としていた部屋は一変し、外に出ると壁に亀裂が入ったり、ブロック塀が崩れたりしていました。その日から丸3日間はすべてのライフラインが切断され、数え切れないほどの余震に怯える日々がしばらく続きました。また、リアルタイムの情報を知るすべがなかったため、自分たちが置かれた状況を知ったのは少し先のことでした。いち早く電気が復旧した地区に住む友人宅でテレビをつけたとき、爆発で無残にも変わり果てた福島原発の映像が流れていたのを鮮明に覚えています。当時は「何か大変なことが起こってしまった」という漠然とした心境でしたが、情報を整理していくうちに、その被害の甚大さと深刻さを理解しました。1年後には復興ボランティアに参加。「自然の脅威に対する人間の無力さ」を痛感すると同時に「人間の無力さに抗えるのもまた人間である」と感じ、人と人とがつながり、助け合うことの大切さを学びました。

 あれから10年以上の月日が経過。外見上は復興しているように映りますが、被災者の心の傷が癒えることはありません。「震災」は「心災」でもある。被災者に寄り添う気持ちをいつまでも持ち続けて、この経験を風化させることがないように努めたいです。

教育実習

 三つ目は、母校での教育実習。たった1ヵ月足らずの体験が、私の人生を大きく変えることになりました。将来の夢に「教師」という選択肢ができたのは、中学生のとき。非常に明るく熱心な先生方に恵まれ、特に担任の先生の影響は強く、大きなきっかけとなりました。しかし、その後は様々なことに興味を抱き、もっぱら大学4年次は途上国支援、とりわけアフリカにおける国際援助のあり方について関心がありました。そんな中で迎えた教育実習は不安だらけのスタート。「先生」と呼ばれることに対する違和感、まったくつかめない生徒との距離感、ぎこちない授業のせいで漂う緊張感。でも、そんな私を救ってくれたのは、寛容で温かく見守り続けてくれた指導担当の先生と、素直で明るく思いやりにあふれた子どもたちでした。指導担当の先生はいつでも肯定的に私のことを受け止めてくださり、日々のコメントは心に響くものばかりでした。また、子どもたちは本当に無邪気で心を通わせることができ、私をあらゆる面でサポートしてくれました。最終日、涙ながらのお別れ会。自分がどんな言葉を残したかはよく覚えていませんが、記念にいただいた寄せ書きや手紙は今でも大切な宝物です。

 正直なところ、教師を志していた人が「教育実習」で嫌な思いをしたり、挫折したりすることで進路変更をすることは少なくありません。しかし、私の場合には、この生涯忘れ得ぬ1ヵ月間が転機となり、教師の道を決断することにしました。その後は「教育について専門的な学びを深めたい!」との思いから、静岡大学大学院教育学研究科を受験し合格。ただ、偶然にも募集があった社会科教諭の採用試験にも合格。非常に悩みましたが、大学院で指導を受ける予定だった教授から「大学院で学ぶのは教員を経験してからでも遅くはない。今ある縁を大事にしなさい。」との言葉をいただき、大学卒業後、本当の「先生」として教壇に立つことになるのでした。

生徒こそ、人生最良の師

”「先生」にしてくれてありがとう”

 この言葉が、教員生活のすべてです。

 私は聖人君子でもなければ、品行方正な人間でもありません。型にはまった見方や考え方が嫌いで、奔放な意見や発想を受け入れるタイプです。「先生」と呼ばれる職業は往々にして、横柄になりがちだと思っています。だからこそ「先生にはなるもんか」と思って教壇に立ち続けてきました。また、「オープンでフラットな関係性」を大切にしていたので、若かったということもありますが、生徒にとってはどちらかというと友達や兄弟のような存在だったと思います。

 しかし、振り返れば「未熟さ」が目立つばかりで、生活指導、進路指導、部活動指導など、「あの時にもっと~な声かけをしておけば」「あの時、もっと誠実な対応があったのでは」と、今でも後悔していることがたくさんあります。昨今、社会問題化している教員の労働環境。多岐にわたる業務と長時間労働で私生活まで犠牲にすることがほとんどなわけですが、それ以上に、「将来ある子どもの人生を背負っていること」「教員としての成長が時として『子どもの犠牲』の上に成り立つこと」の方が余程重くのしかかりました。

 ただ、そんな自分が恥ずかしながら「先生」でいられたのは、間違いなく「生徒」のおかげです。いつでも自分を支え、励ましてくれました。素直さ、誠実さ、明るさ、創造力、継続力、行動力など、生徒から学ばせてもらったことばかりです。教えてあげたことよりも「教わったこと」のほうがあまりにも多く、生徒とのかかわりを通じて数え切れないほどの気付きを得ました。また、私のことを認めてくださり、許してくださり、叱咤激励しながら育ててくださった職場にも本当に感謝しています。

生徒こそ、人生最良の師

 「恩師(生徒)」の皆さんに心を込めて。ありがとうございました。

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